103、暴走トレイン。

日常をやっております。
 
昨日は昼から叔父の告別式?なのかな。あと火葬。
恙なく進行しました。
そのあとは、帰り道に近かったのでさんたさん1さんと会い、夕飯。小籠包屋さんをはしごしました。
今日はただのお休み。家から一歩も出ず、特に何かをしたわけでもないです。
 
明日は健診。なんですけれどもその書類を職場に置いてきたため直行できず、悲しい気持ちです。
まあ近いからいいや。
あと今日はなんだかおなかがゴロゴロいっていて、健康でないことがすでに分かっております。
 
 
僕は宗教というか、信仰心というようなものがあんまりないため、葬儀とかについていろいろと思うところがあります。
あんまり死んだ後がどうというのは興味がなく、個人的には自分の遺骨なんかトイレに流してもらっても別にいいと思っているくらいです。法的には許されないみたいですけれど。あと詰まっちゃうしね。
まあでも、葬式っていうのは、悪い表現をすれば死者をダシにして所縁のある人で会おうという意味では、きっと大切なんだと思います。
でもまあ、火葬前までは生前の姿を保っていて、火葬場から出てくるというのを間近で見ると、何ともいえない気分にはなりますね。
この何ともいえない気分というのを助長させるのが葬儀であって、何ともいえない気分というのが決して悪い状態ではない、というか何ともいえない気分に浸りたい人っていうのが世の中には存外多いんだなあというのが今回の葬儀の雑感です。
僕が死んだら最低限法的な手続きだけ済ませて、葬儀などもせずとりあえず焼いてその辺だか海だかにばらまいてほしい、墓も位牌も戒名も仏壇も不要という気持ちはあるものの、まあそれは僕の意思ではなく残った人の意思が優先されるべき事項なので、別にどうでもいいという感じです。死人に口なし。
まあそれ以前に、このままだと孤独死からの無縁仏みたいなコースが見えているのでそんなに考える意味はないですね。
 
 
前回、前々回と振る舞い話を書いて思ったところでもあるんですけれど、自分は今まで常々何かに振る舞って生きてきたんだなあと思います。
今更アイデンティティがどうこう、そういうナンセンスなことは書きませんけれども、結局いつも思っている通り、夢とか希望とか目標とかなかったり、あるいは何がうれしくて何が辛くて何が美味しくてというのが他人からのフィードバックでしか得られないというか。
まあ、実は他の多くの人もそんなもんなのかもしれませんけれど、そういうことに疑問を持ち始めると、こう、ね。
そうなると信じられるものが、生理学的に熱いだとか痛いだとか眠いだとかっていうものと、数値化できるものくらいしかなくなってしまい、何にも考えられなくなりますね。
 
 
とりあえず明日は、ゴミ出しと職場へ一旦行って健診、その後また仕事する、というのを忘れずに生きていきたいです。