158、報復行動。

夜勤をしまして、その後遊びに出かけたりしました。
明日は病院の日なんですけれど、飲み忘れの薬が大量にあったりします。
 
あんまりこういうことを書くとメンヘラっぽいんでよくないかなと思いつつもよく考えたらお墨付きをもらっていたので間違ってないから書きます。
ネットのうつ病セルフチェックみたいなやつに必ず「死にたい(または消えたい)と思う」という項目があるんですけれど、僕は死ぬのが本当に怖いというか嫌なのでそこに関しては自信をもって当てはまらないを選んでいます。なので、その診断で毎度あなたは重度のうつ病の可能性がありますだの、医者から中程度のうつ病ですと診断されても、まあある面ではまだまだ余裕っしょ?みたいな感じで楽観視しているわけです。世の中で死にたいと思うほど苦しんでいる人がいるという事は僕も大して重度でもなければ苦労もしていないほうだと思います。そう思って頑張っているともいえますけれどね。
逆に、絶対に死にたくないという事はそこそこの頻度で考えているから大丈夫とかって思っていたんですけれど、どうやら世の多くの人はそういうことに思考を割いたりしないみたいですね。
いい替えれば、死にたくないと思っている回数だけ、他の人より多く自分が死ぬことについて考えてるという話を聞いて、目から鱗でした。
皆さん、本当に死にたくないとか考えずに生活してるんでしょうか。羨ましすぎますね。
 
以前に茶端さんが生死観について「いいことがあったら+、悪いことがあったら−で、死ぬことによる−より生きているうちにある−のほうが多い見通しなら死んだほうがマシ」みたいな内容を借金だか収支計算だか何かに喩えて書いていたように思います。
その時に僕は、悪いことと死ぬことは別次元の問題で、同じように喩えるなら「いいことがあったら+、悪いことがあったら−、死ぬのは帳簿を破り捨てること」とか思った覚えがあります。
茶端さん、今頃元気にしているんでしょうかね。某SNSではいつの間にかアカウントが消え、かといって連絡を取るような用事もなく、気づいたら5年以上音信不通な気がします。
高校在学時からかなり仲が良かったほうだったし、漫画の好みとか生き方考え方についてそこそこ影響を受けたので、連絡を取らなくなると寂しいですね。
まあ、きっとどこかで元気にやっていることでしょう。なぜならスケッチブックがまだ連載しているからね。