141、お金がなくて電気が止まる。

祖父の法事の関係で親戚その他と集合して念仏を唱えたり飲食したりしました。
ここ最近、親戚とは数年に一度ペースでしか会っていなかったのに、今回は3か月ぶり。
別に親戚仲が悪いわけではないけれど、胃もたれする感じはありますね。何よりみんな幸せそうで僕みたいな人間には居場所が用意されていない。
幸せそうというか、いわゆる一般的な幸せ像という感じか。そういう意味では僕もだいぶ偏見がある。ついでに僕も不幸ではないし。
 
 
先の台風に地震に、インフラが機能不全になったところの雑感というか。
僕も実はインフラ関係で働いているような感じなんですけれども、同じような災害がうちの近辺で起きたらと思うと、仕事も生活も無理になるんだろうなーなんて思って見ておりました。
早朝に復電・断水復旧情報が出たりすると、同類が頑張っているんだなあ、などと。あんなに大規模にハードウェアが破損していて、一部分且つ仮とはいえモノの2日で復旧できたりする事に対して、畏敬の念といいますか。直してる人も被災しているでしょうに、もし自分の地域がそんなことになったら対応できるかどうか。
 
それはそれとして北海道停電の顛末を聞くと、どこも同じような課題があるんだななんて思いました。
基本的に余力がないというか、1か所が倒れると連鎖的に倒れるドミノのような状況。こういう欠陥というかウィークポイントというか、多分内部では把握してたんだと思います。
本来そういう止まっては困るシステムを構築するなら、絶対にそういったボトルネックになるようなところは潰すというのが基本的な考えだと思うんですけれど。
だけどそれに備える余裕がなかったというか。それが金銭的なものか時間的なものか人員的なものかはわかりませんけれど。
 
僕の職場も状況的には結構似ていて、全部で5か所ある事業所のうち今の所属で供給の6割近くを賄っていて、仮に地震などで操業不可になったら確実に立ち行かなくなる見込みがあります。
どころか、うちも設備上限近くで運用しているため5か所のどこが倒れても、被害は大小あれど結果的には同じような状態になります。おそらく。
うちで働いてる人は大体みんな知っているけれど、お金がまるで足りない。だからわかってても自転車操業せざるを得ない。
 
ついでに、不祥事だの社会問題だの、ニュースになるような出来事の大部分の根本的原因或いは遠因にお金が絡んでるようにも思います。全部ではないですけれどね。
経営不振にならなければ粉飾決算はしないし、資金が潤沢にあれば賄賂は受け取らないし、給与がいっぱい支払われれば子供を持つ家庭や介護職希望者が増えるかもしれないし、その他いろいろ。逆にいえば、お金というものがほとんどあらゆるモノを測ることができる尺度であるという証左なんですけれども。
科学技術とかが発展して高かったものが安く買えるようになればみんな物質的には裕福になるはずだったのに、上がりすぎた「普通の生活」の水準を維持できなくなっているのかな。
とはいえ無暗にお金を刷ってばらまけば解決するという問題でもないという事は流石にわかります。インフレしてお金の価値が暴落するんですよね?
じゃあ逆に、お金の価値って何によって決まっているのか。兌換紙幣くらいわかりやすければ僕でも理解できるんですけれどもね。
お金の価値が一定ではない以上、モノが高いか安いかを判断するのは需要側と供給側の各個々人の考え方次第であることを考えると、経済改革っていうのは意識改革でしかないのでは?
 
 
そんなことをざっくり調べながら帰りの電車に揺られておりました。
きっと、経済などを専門でやっていたり特別に頭のいい人たちがいろんなことを考えていて、その結果が今なんでしょう。
僕は専門でやっていたわけでもなければ頭がいいわけでもないので、きっと僕が考えつくようなことは既にしゃぶりつくされてるんだと思います。
でもそういうことの根本っていうのが個人的に気になるので、高校とかの頃にもっとそういう科目を真面目に聞いていればよかったなあ、みたいな感じでした。あまりに記憶になさすぎてとっかかりがない。
 
 
ついでに僕個人もお金がない旨を付け加えようと思いましたが、毎度オチをつけないと気が済まないような感じになってしまうのでやめました(やめてない)。