今週のお題:父との思い出。

今週のお題「父との思い出」
はい。ということで。父の日ですしね。
まあ先述の通りそんなにはっきりとした思い出っていうのはないんですけれども。
出来事として印象深いのは思い出というより現在進行形で入院してることだったりします。
前にも書いたかもしれませんが、それなりに症例の少ない難病らしく、しかもその中でもちょっと変わった症状で、思ったより長く入院していて、結構大変なんだと思います。
まあ、命に関わるような病気ではないみたいなので、とりあえず入院が思い出になるくらいまでは生きてもらいたいですね。
 
 
それともうひとつ、これも父とも思い出ではないんですけれども、父に関する思い出ということで。
うちの父親は数年前に定年になったというくらい高齢で、定年退職した会社も結構長い間勤めていました。
これは定年前後になって母親から聞いた話なのですが、父は定年まで課長止まりで、別に困窮するほどではないにしても、同期の社員と比べると役職も給料も低いほうだったようです。
同期が役員やってたり、同期どころかいくつも下の後輩が事業所長やってたり、みたいな。
会社での話を聞いても、別に業績が悪いわけじゃないようだし*1、嫌われたりしてるわけでもなく*2、それなりに慕われていたという印象です。
それでどうして出世できなかったのか、まして今よりも年功序列の傾向が強い時代に入社してるのに。ということについて。
 
父は営業職で、商品の関係上、顧客はわがままというか世間知らずというか傲慢というか、一種の変わり者が多いそうです。
例を挙げると、営業とは関係なく突然呼び出されて、「空港まで送ってくれ」とタクシーのように*3使われたりすることが恒常的にある、というような業界のようでした。平日だしもちろん営業も関係ないし、客側から何かしら支払われるわけでもないので、車を出す側には何の利益もなく、会社側も公では断るように指導しているようでした。
しかし実際には、会社側も余り波風立てたくないのか、暗黙の了解として「頼まれたら行け」、というような状態だったそうです。
ところが父は「それはおかしい」として断るようにしていたそうです。
このような件が結構あったために、会社の上のほうからは覚えが悪く、出世コースから外れてしまったということだそうです。
ただ、これは顧客側にとっても「意見が言えるまともな奴」と認識されていたそうで、売り上げも悪くはなかったようですし、顧客からそれなりの頻度で飲み会やら懇親会に誘われてた様な気がします。結果的にそういう顧客が残っただけかもしれませんが。
 
というような話を聞いて、うちのおっさんは意外とやるな、ただの変人だと思ったけどかっこいいところもあるんだな、などと思ったものでした。
 
 
そんなこと考えていたら、自分の就職活動についてもう少し真面目にならなきゃなあ、とかいろいろ思うところあったりしますが今日はこの辺で終わり。

*1:2〜3年連続で売り上げ1位で、商品としてPSPiPod miniを貰ってきたりしていた

*2:本人証言なのでわからないけれど、定年の時には同期や後輩がいっぱい集まってお祝いをしたらしい

*3:埼玉からなのでそれなりの距離がある