ネガティブだということ、やればできるという事。

昨日の飲み会で、チェルノさん、まっつんさん、エンゲルスさんと、ネガティブがどうとかいう話になりまして。
何にも考えてないわけではないんですけれども、あんまり頭の中でまとまってなかったので、適当な説明をしてしまったり、論点をずらしてしまったように思います。
ので、思うところを書き連ねてみます。
 
 
とりあえず私が思うところは、「ネガティブは悪」という風潮が気に入らない、ということ。
もちろん後ろ向きな考え方で自分が損をしたり、周りに害を与えていたりする場合は改める必要があると思いますけれども、それは"行き過ぎた"ネガティブな場合であって、なんでもかんでもネガティブは悪くてポジティブが正しいという論調がとっても嫌いです。
"行き過ぎた"ポジティブだって同じくらいよくないというのもありますしね。
そういうわけで私は、「ある程度の範囲ならどっちでもいいじゃん」などと思うわけです。
 
具体例として、よくいわれる話で「コップに半分の水が入ってる」というのがあります。
これをポジティブに捉えると「まだ半分残ってる」となり、ネガティブに捉えると「もう半分しか残ってない」となる、というたとえ話です。
でもこれ、どっちで捉えても結局水の量って変らないんですよ。
だから「もう半分しか残ってない」と思ったって、「残り半分は大切に飲もう」という方向に持っていけばいいわけで、逆に「まだ半分あるから」といってがぶがぶ飲んでしまったら結果的に先に水がなくなってしまいます。
 
まあこれは極端というかかなり限定的な例ですけれども、物事の悪い方へ目を向けても、それをいい方向へ持っていこうとするなら、ネガティブな考え方、捉え方をしていてもいいんじゃないか、というのが私の思うところです。
 
 
もう1つ議題にあがったのが、「やればできる」ということ。
私はこの言葉もとっても嫌いなんです。それなりに、やってできなかった経験があるので。
こういう無意味に希望だけを見せるのは、よくないことだとと思うんですよ。
ただ、一応言っておきますけれど、努力ややる気を否定するという話ではなくて、もちろん努力はすればするだけいいしやる気はあればあるほどいいと思います。
 
結局何が言いたいかというと、「やればできる」ではなく「やってできるかどうかわからないけれど、やってみないとできるようにはならない」が正しいんじゃないの、ということ。
まあ、よく言われてることですね。努力しても成功するとは限らないが成功者はみんな努力してきた、ってやつです。
 
この程度の言葉の違いなんてどうでもいいことのように思うかもしれませんけれども、こんな少しの言葉の違いのせいで変に希望を持たされて、失敗して、余計に苦しむ人もいるという事をわかってもらえると。
 
 
 
 
で、じゃあ翻って、自分ははどうなの?というと。
私は周りからネガティブだとか言われる事もありますけれども、そうとも言い切れないんですよね。
まっつんさんからもこんな事を言われました。

楽観的な部分と悲観的な部分の落差で損してる気がする。

彼が私のどの部分を見てこう思ったのか、本当のところはわからないですけれども、なんとなく当たってるような感じもします。
 
基本的に私は、「なるようになる」、というか「なるようにしかならない」くらいに考えています。
一方で、これは何度か言っているかもしれませんが、とにかく自分が嫌いというか自己評価が低いというか。
なので、「結局なるようにしかならないなら、なんにもしなくていいや」みたいな感じの思考に陥りがちになってるように思います。
失敗するのが怖くて、「やらなければできるようにならない」というのを「やってないからできないのはしょうがない」という言い訳にしているのがよくないんでしょう。
 
さらに質が悪いのは、「自分が悪いのを自覚してるからいいや」という考え方。
自覚するだけで悪い部分が治るわけでもないのに、治った気になっているのが始末に負えない。
↑こういう部分も自覚してて、自己嫌悪のループに陥ることでどんどん自分の精神を削ってるように思います。
 
 
 
まあ、書き連ねてみたところで結局いいたい事も考えてることもまとまりませんでした。
こう、脳内の考えを直接文章におこしてくれる装置とか、欲しいですね。
あ、コレもおんなじこと前に書いた気がする・・・・