エリクサーを飲むとか飲まないとかいう話。

はい。
 
 





 
まず最初に自分の立場を表明すると、僕はエリクサーを使わないことを尊重します*1
因みにですけれど、僕はFF3をプレイしたことがないのでその辺りは憶測を含みます。
 
前提として、一番上のツイートのリンク先の話を整理すると、
・「僕」と「健太郎君」は、各々でFF3を攻略し、情報を共有している。
・強敵である中ボスと戦う際、「僕」はレベル上げや装備を強化し、「健太郎君」はエリクサーを使って倒した。
・お互いに自分のプレイスタイルを譲らなかった。
・「僕」はその後、最後までエリクサーを使うことなくゲームをクリアした。
こんな感じでしょうかね。
 
彼らが各々FF3を攻略する目的は、*2ゲームをクリアする=ラスボスを倒して世界を救うことです。
この手のRPGは、世界を救うために途中に強敵や難関なダンジョンを配置し、それを乗り越えるストーリーになっています。そして行き詰まった時のため、いくつかの攻略方法(救済措置)が用意されています。そのうちの一つが「レベルを上げる」であり「装備を整える」であり「エリクサーを使う」です。
その中で「僕」はレベルを上げる・装備を整えることを選択し、「健太郎君」はエリクサーを使う事を選択しました。
チェルノさんのツイートでは「エリクサーを使わないという選択をした」とあり、元のエントリ内でも「エリクサーを使えない人間」とありますが、正しくは「来るべきより強い敵に備えてエリクサーを使わない代わりにレベルをあげ、装備を整えるという選択した」というのが「僕」のプレイスタイルだと思います。
そして結果的に「僕」「健太郎君」は各々のプレイスタイルで中ボスを倒し、世界を救いました*3
結果的に「僕」はそれ以降あまり苦戦することがなくエリクサーを余らせてしまったのですが、それで世界を救うことができたのならば、それは目的を達成するうえで正しい選択だったということになりますし、同様にレベルを上げず最低限の装備で倒した「健太郎君」も正しい選択をしたことになります。単に「僕」はエリクサーの使用に対しての閾値が高い「保守的」で、「健太郎君」は時間効率よくガンガン進めていこうという「冒険」だというだけです。
この場合、決断しないというのはエリクサーを使うのかレベルを上げるのか装備を整えるのかの判断を保留にすることであって、その結果として中ボスを倒せない、ひいては世界を救うことができないことになります。
逆にいえば、今後の展開が確定できない以上どちらも間違った選択になり得たわけですけれど、だからこそどちらか一方が正しくてどちらか一方が間違っているなんてことは、行き詰まるまで判定できません。エントリでは「健太郎君」が適切な判断をしてエリクサーを使用したかのように書かれていますが、使ったうえで負けてしまったり、或いは後々より強力なボスにエリクサーが足りず勝てなければ「ホラ見ろ」となったことでしょう。
本当に大事なのはラスボスを倒し世界を救うことでありその手段に何を選んだかは些末な話で、その言い争いは目的と手段を取り違えているように思います。子供だから仕方ないとは思いますけれど。
 
ということで、エリクサーを使わないことを尊重する、というよりは、どちらも目的のための手段として等価だと思います。
もっというと、どちらの手段も適切な段階で使えることが必要で、
かなり当たり障りのないというか玉虫色な感じなんですけれどあんまり一般化するとこうなっちゃうよねという話です。
 
 
というところまでがゲーム上でエリクサーを使わないのを尊重する理由なんですけれど、エントリ内での所謂人生のエリクサー的な話でもおんなじことが言えると思います。
生きていく上で、或いは幸せになる上での離婚や転職や結婚がエリクサーの使用なら、例えば辛い結婚生活を耐えたり嫌な仕事を続けたり独身で気楽に暮らすのがレベル上げになるでしょう。結果的にエリクサーを使ったから幸せになったのかレベルを上げたから幸せになったのか、選ばなかった選択肢は全て幻想ですからね。
実際に「彼女」は結婚というエリクサーを早々に切ったがために後々離婚というエリクサーを切ることになるので、エリクサーを使う事が即ち正解だとは言い切れません。
最後に結婚をきっぱり断ったのは結婚しない決断であって、「ちょっと考えさせて」というのが本当の「決断しない」ことなんだと思います。
 
以上がとりあえず尊重する理由です。
 
 
以下駄文というか蛇足といか適当な感じのやつです。
 
 
なんですけれど、それに付随する話として、ゲームの目的は本当に世界を救う事だったのか?という話もあります。
例えば「僕」と「健太郎君」が、どちらが先にFF3をクリアするのか競い合っていたかもしれませんし、アイテムコンプリートを目指していたかもしれません。そんな話、文面上は読み取れませんけれど、あくまで喩えなので。
この場合の話はまた違ってきて、クリアに対して優劣を比較する条件が付くため、最適解が一意に決まってしまうことになります。
或いは本人の幸せが「○○円以上稼いで結婚して子供は××人」などと条件がある場合は、それに見合った職に就いたり結婚したりという事が必要になってきます。
 
またそれはそれとして、エントリ内にもある通り、「世間に広く発信される声はとかくエリクサーの使用を促す世間に広く発信される声はとかくエリクサーの使用を促す」風潮がある、或いはそこまでいかなくともそういう考え方を持つ人自身が負い目を感じている風潮があるというのは自分も感じます。「僕」自信がが負い目を感じているからこそ「しない決断」を「決断しない」と混同している、あるいは意図的に読み替えているんだと思います。
それに対する回答については、状況が変化をする方向への決断でなければイベントが発生せず、それに対するコストも発生しないから経済的観点というか資本主義的観点からエリクサーの使用を促すしかないのかなという部分が大きいんじゃないかと思います。
エリクサー、FF3内では売り物ではないとのことなのでちょっと異なるんですけれど、現実世界でのエリクサー使用的事象は全部コストがかかるんですよね。
結婚だったら結婚式やら婚活ビジネス*4に子供ができたり、就職や転職も就職ビジネスに優秀な労働力の奪い合い、離婚すれば裁判の弁護士やら引越しやら。
一方で今の生活を続けるだけならその維持費だけで済むので、ある意味では多くのサービスやら製品はエリクサーの使用を促すための存在といってもいいように思います。
これはちょっとアレな見方かもしれませんけれど。
 
「決断しないこと」は論外だとしても、「冒険」的か「保守的」かは、個人の価値観の違いだと思っていて、上でも挙げた通り優劣をつけるべきではないというのが個人的見解です。
価値観は努力やら経験やら環境やらいろんなもので変わってくるものだけに、それを無碍に否定するのは相手の努力(中略)を否定するのとおんなじような気がして気が引けますね。
向上心を持って自己を改革する「冒険」も一理あるし、自分の現状を肯定してそれを守る「保守的」な考えも一理あるし、みたいな。
 
 
そんなことをいろいろ考えた上で、じゃあ自分はエリクサーを使うのか残すのかというと、最後まで取っておいてラスボス戦で無意味に浪費するのが楽しくて好きです。初代のポケモンは151匹図鑑を埋めた後、カンナのラプラスマスターボールを投げましたね。
ただ、詰将棋のような唯一の勝ち筋を探すようなゲームとか、スパロボの熟練度クリアとかサモンナイトのブレイブクリアのような、回復アイテムがないときつい様なゲームもやるようになったので、使用する抵抗感は薄れたかのと思います。
人生に関しては大体のことが先延ばしマンなので、論外の人です。残念!

*1:もっと正確にいうと、どっちでもいいとなるんですけれど

*2:当人ではないので断言はできませんがほぼ間違いなく

*3:健太郎君」のその後は不明なため倒してない可能性もありますけれど

*4:どちらも必須ではありませんが