85、非実在社会。

書くことも書く気も全てが無です。
なんだか3月下旬あたりから膨らんできていたやる気の風船が急激にしぼんだ感じです。破裂と呼ぶには膨らみ方も落ち方も足りない。
といって思い返してみたけれど、やる気が特段高かったかといわれるとまあそんなでもなかったというオチ。
まあ、全体的に低いながらも波というか起伏というか、ちょっとした凹凸くらいの変動があり、最近は凸の頂点だったものがちょっと下がってきたというだけのお話。
平常運転に戻ったともいえますし、これを機に散在しまくった反省としてちょっと消費活動を控えられればというのもないではない感じです。
 
最近、人生の岐路といいますかターニングポイントといいますか最後のチャンスというようなことを感じます。ここの開設がたぶん2005年くらいなのでもう10年以上経ちますしね。
これは何度も書いていることですけれども、依然として将来にわたって好転する兆しが見えなし、余命とともに体力や精神力や社会性といったものがどんどん削られていくのを実感します。あ、社会性は最初からありませんでしたね。
一般的な例でいえば結婚だとかお金だとか家だとか健康だとか仕事だとか、まあ今のところ何も考えずにとりあえず生きるだけで精一杯なわけですけれども、少なくても今考えないと今後も全く考えない、或いは手遅れになる案件がかなりゴロゴロしていると思います。
このまま漫然と過ごすと本当に定年まで今とおんなじ生活を続けるだけになり、まあそれはそれで楽しいのかもしれませんけれど、何事も楽しむための体力というか気力というかが必要でありそれが常に減り続ける見込みなので、何も楽しくない余生しか見えないといいますか。
これも何度も書いていますけれど、夢や理想というものが昔から欠けていて、常に将来が来てほしくないと願っていたツケがその将来である今にのしかかってきており、さらに今後はそれが雪だるま式に増えていくんだと思います。
 
以下、しょうもないことの具体例というか。
 
最近思ったのは、家を買うかどうかという話。おそらく生涯単身だと思うので買うつもりとかも特になかったんですけれども、このまま生きていたら実家を相続するか適当に売るかする羽目になるとか、姉が結婚して出て行ったためいざとなったら両親の介護をすることになるかもしれないというのが頭を過ぎり、転職して遠くで働いて遠くに家でも買おうかなという気持ちになったりもしました。
これは社会通念上あまりいい考えではないと自覚はしていますけれども、僕が両親を介護するくらいなら勝手に死んでくれという気持ちです。別に家族仲が悪いとか恨んでるとか早く死んでほしいというわけでもないですし、介護職に就く方を差別する意味でもないんですけれども、絶対に無理です。かといって施設に放り込むほどのお金もないし。
おんなじ理由で子育ても無理、幼稚園くらいになればまだ大丈夫だと思いますけれども、所謂赤ちゃんという存在が無理で、かわいいと思ったことは1度もないです。動物みたいで気持ち悪いと思ったことはあるし、あと誤って怪我をさせたり死なせてしまったりしそうというのがある。
そういう意味では結婚自体はまだそれらと比べて可能性はある、相手さえいればという気持ちはあるものの、相手を探す気もないし探しても見つからないしで、まあ無理でしょう。一応ヘテロだし興味がないわけでもない、ついでにいえば子育てはともかく教育自体、勉強だったりそれ以外なんでも教えることは結構興味があるんですけれども、それをする労力を支払う気が一切ない。あと教育とかエゴ丸出しになって不幸な人間が世の中に一人増えるだけな予感はします。
転職についても同様で、チャンス自体はあるけれど就活で散々嫌な思いをしたので転職活動自体がしたくないのでたぶんしない。
こういうこと、誰かに文句を言いたいとかではなく、常に反芻して常に人生どこで間違ったのかを考え続けていて、それだけで精神が目減りしていき、それがまた悪い方へ考えるという一種のスパイラル状態に陥ているような気がします。
 
知り合いの結婚やら家を建てるやら話を聞く折、そんなことを考えてしまいます。
 
 
あとはだいたいスプラトゥーンのことだけ考えています!