121、1週間分のあれこれ。

昨日は23時頃に起きてここにダイイングメッセージを書いた後、31時くらいまでゲームをして12時に起床しました。
今日は3連休最終日という事で、やらなきゃいけない資格の勉強をしたり、買い物をしたり。図書館とはかくも便利な場所なのか。
無駄にたくさんお金を使いましたけれど、日用品と食料なのでセーフ。こういう細かい自分への許しを増やして自己肯定感を育んでいきたい。
電気のほうの勉強はまあ、うん。この時期にこの進度だと、ね。あと受験票が届いてないような気がします。発送自体まだなのかな。調べていないため不明です。
 

  • SNSの話

SNS、というか主にツイッターなんですけれども、セルフSNS断ちをしてから今日で1週間でした。
断った経緯はまあ先週書いた通り+反骨心というかあてつけというか、まあ概ね論理的な理由はありません。というか何に対する反骨心で誰への当てつけなのかよくわかりませんけれど。
というのと、アップロードする手前でコレは意味があるのか一旦考えてから、と思っていたんですけれど、思いの外というべきか思った通りというべきか、意味があることが一切なかったので自然と使わなかっただけなところもあります。まあ見たりRTしたりはしていました。
だれか自主謹慎していたことに気づいた人はいたんだろうか、たぶんいなかったんじゃないかな、と思うくらいには普段から意味のあることを発信していなかったため、まあSNSしなくてもいいのかもしれません。
参考までに、さんたさん1さんは気づいていなかったみたいです。そんなもんでしょ。
ついでにもう一つ、業務が立て込んでいて暇がなかったというのもないではないですけれど、まあ些末なことですので割愛。
 
で、1週間経ってまあなくてもいいかなーなんて思ってはいるものの、それはそれで負けたような気がして、いつどう戻ろうみたいなことも考えるわけです。そもそも何に負けたんだよという気持ちが大きいですけれども。
まあ普通にしれっと元通り、というのが一番いいとは思うんですけれども、「僕たち、これから元通りやっていけるよね」なんてセリフはフラグでしかなく、こんなの100%元通りでやっていけませんよね。
とはいえ「じゃじゃーん!実は1週間謹慎してました!」なんていうのはアホの極みであり、まあアホだからその線もあるのでは・・・?などと思っています。
まあ、実際にはしれっと戻るにしても、古の賢人よろしく半年ROMれの精神で、適宜。
そもそも、誰も気づいていないと思うならばそんなことで悩むことこそ無意味で無駄であり、自意識の高まりを感じますね。
「俺は生きたいように生きるぞ!」という強い気持ちでやっていきたいと思います。
 

  • ポジティブとかネガティブとか、ポジティブ教徒は許さないという話。

こう、揉め事、ではないですけれど僕が日常で躓く場合は大体というかほぼ確実に僕に過失ないしは悪意があるため時間が経つにつれて反省点ばっかり出てきて精神的に終わってくるんですけれど、どうしても言い訳したいことをだけ1つ。
以前からポジティブ教徒は許さないみたいなことを言っていたしその旨ここにも書いていたとは思いますけれど、その点について誰に弁明するわけでもないですけれどちゃんと書いとこうと思いました。結構いろいろ揺らいじゃうので、その道しるべに。
僕はポジティブな考え方が悪いとはもちろん思っていなくて、むしろ羨ましいとさえ思っていますし、無職だったころと比べてかなり前向きになったと思います。相対的に見るとまだまだかもしれませんし、あるいは逆に自分の能力や立場のわりに前向きすぎるというか楽天的に映っている人もいるかもしれません。
まあ僕の状態はさておき、ポジティブだとかネガティブだというのは思考の過程であると同時に、それまでの経験の集大成であるように思います。それを安易に過程を否定することで、経験まで貶めることになるんじゃないかという思いです。
極端な話ではありますけれども、魔王を倒す冒険に出た勇者が返り討ちに会い、不治の呪いを受けてなお「頑張って魔王に挑もう」と端から軽々に言っていいのかどうか、という感じ。呪いを解く呪術師や薬草商がいうならともかく、一町民にそういうことは言われたくねーよと思うわけです。
なので「こう考えればいいんじゃない?」みたいにポジティブな方向に啓蒙するのはともかく、事情も理由も関係なく一緒くたに禁止という姿勢のことを「ポジティブ教徒」と揶揄しているのであり、決して前向きな姿勢を批判しているわけではないという事です。
それは単なる失敗したことがない人、ないしは立ち直ることができた人の“強者の理論”であって、今まさにそういう状態にある人には無意味どころかより絶望に陥れる場合があるからです。もちろんいい方向に働くこともないとは言い切れませんけれど。
とはいえ別に他人に啓蒙してほしいだなんて傲慢なことを言うわけではなく、ただただ否定するべきではない、それまでの積み重ねを無碍にしないでほしいという風に思います。
相手に迷惑をかけない限り、相手の人権を侵害しない限り、ポジティブであることが褒められはしてもネガティブであることは断罪され否定されるべきではないと思います。
 
で、今回に関していえば、というか今回に限らず大体多くの場合いつも、その「相手に迷惑をかけない」のラインを僕が見誤り、あるいは基準が他人と異なるため、まあちょっと反省しないとなーなどと思って閉口しようと思ったわけです。
閉口せずにここでグチグチ書いている辺りが非常に見苦しく醜いわけなんですけれどもね。

  • 主観・客観の話。

一連の流れとは別に、例のパワポ会のチェルノさんの発表と、トムさんの感想の話を聞き、主観と客観が混濁しているように感じ、畏れ多くも指摘させていただきました。これは自分への戒めでもあるんですけれど。
で、そこで言いそびれたことがあるのでここに書いておいて、次に機会があったら伝えようという覚書。僕が伝えるまでもなくご理解いただけていると存じ上げますが。
 
こういう発表だったり感想だったりを話し合ううえで一番大事なのは、「主観」の部分だという事。研究とかだとそうでもないんですけれど、こと今回のパワポなり感想なりは、主観部分を求めている部分が多く、客観部分は基礎データとか前提としての意味しかないように思います。これは私の主観なんですけれどね。
まあ、読書感想文と自由研究の違いみたいなもので、どちらが大事かというのはその時々によって変わるので決して一辺倒ではないし、意図的に混ぜることも「プレゼンの魅力」としてはあり得る技法だと思うので、その辺りはいい塩梅にやっていってください、という感じ。
  
ついでに自分語りをすると、イヴァさんに指摘されたとおり、僕は自分の主観も客観視してしまうというか、主観部分が究めて他人依存のため主観部分がとても弱いのかなと思います。
逆に自分の中で主観が強い分野は、怒りとか嫌悪とかそういう分野ばっかり。上述の文字列を見てもわかりますし、食べ物とかそういうのもそれ。+方向の主観が乏しい。
ちなみに僕がかつて発表した冬目景の話もMtGの話も全て客観部分だけでできております。冬目景の方については意図的に主観を排除した*1んですけれど、MtGのほうは意識せずにそうなりました。
冬目景の話で主観を排除した理由はチェルノさん以下3名に語った通りですので、そういう事です。

  • やる気、やること、通院など。

トムさんの小説読み会、出たかったです。いや、読めよ、そして出ろよと自分でも思いますけれども。
しかし、これはトムさんの小説に限らない話なんですけれども、どうしても読み始めることができない、自分を制御することができなくて、誠に遺憾です。
そしてそういうことを何とかすべく通院しているというのも事実ではあるんですけれども、それを言い訳にしてしまったのが失敗だったと今更ながら思います。
自分に対しての言い訳にはしても、他人に対しての言い訳にしていい発言ではなかったし、ある意味では反論を許さないワイルドカード的な内容であり、真剣に書いた小説を愚弄しているから。
この点に関しても本当に申し訳なく思います。読めないなら読めないで言い訳をするべきではなかった。すべて責められるべきは自分にあると思います。
 
ついでにいうとこっちの話は未診断なんですけれども、上述の“「相手に迷惑をかけない」のライン”のズレは所謂ASDの症状の一つなんじゃないかと疑っております。
自己診断だしスペクトラムなので何とも言えないところもあるんですけれど、昔からこう、なんというか、思い返すたびにそんな感じがしますよね。
ただ世間一般でいわれるほどかというとそうでもなく、どちらかというと知覚過敏、運動音痴、常同行動の方が困ってたりします。まあ、そうでもないと思っているのは自分だけかもしれませんけれど。
 
最近こんな話を読んで、そのとおりだとおもったのでシェア。まあ、あんまり関係ない人が多いとは思いますけれど、それ以外のところに通じるところはあるかと思います。
これ
気を付けていきたい。

  • 自信とか主観とかそういうのについて。

上につながる話なんですけれども、トムさんが小説を書いて周りの人に読んでもらったり、チェルノさんが楽器を演奏したり。
そういう身近な例以外でも、結構みんな絵をかいたり文章を書いたりして、それを同人即売会で売ったりSNSでアップしたり。
自分のそういう自信というようなものが全く育っていないというか、なんなら自分を出すことが恥ですらあると思っている節があり、素直に羨ましいと思います。
一応言っておくと、だれかのそういう作品や演奏を見て「恥ずかしいものだ」なんて思ったことはありません。
ただ、客観的に見て自分より下手なものでも、自信満々かどうかはともかく、臆さずに出している人を見て羨ましく思います。まあ、絵でも演奏でも自分より下手な人って殆ど見かけないんですけれどね。
これは経験の問題なのか、遺伝、というか主に母親の考え方による洗脳*2なのか、あるいはいつも通り自分の努力能力等の問題なのかは分からないですけれども、どうしてもこう、自分の考えとか能力を発表するのに抵抗があり、難しいものです。
何度も書いている話で恐縮なんですけれども、どうにもその辺りが弱いので、何とかしたいところ。
単純に数値で比較できるものであれば論拠があるのでいいんですけれども、実力がないと数値は伸びないためその線も駄目。
ロースコアおじさんです・・・
 
ハイスコアガール、面白いよねっていう話でした。
今期はハイスコアガールだけ見れてる。押切先生の絵がそのままな感じでとてもよい。

*1:のと、仕事紹介するだけで時間がかかってしまい主観を挟み込む余地がなかった

*2:母親はよく自信満々なスポーツ選手などに対し「謙虚さが足りない」と批判していた