122、構造的欠陥と欠陥構造の違いについて、あるいは閑散期。

昨日はここを書いて22時半頃、眠かったのでベッドに潜り限界まで資格試験の本を読んで過ごすなどしていて24時頃に電気を消して就寝する運びとなったわけですけれども、そこから始まる眠れない28時間半。
多分複数回書いていることなんですけれども、眠ろうとして眠れないときは主に後ろ向きなことばかり考えてしまい、1時間半だか2時間くらいたった段階で時間確認でスマホを見るついでにSNSなどに吐き出したい感覚がほとばしり、無事にいつも通りになりました。一応昨日アレを書いたあとにぬるっと戻るよう当たり障りのないことを発信して床に就いたのですけれど収まりがつかず多分発信してはいけないというかすべきでないことをたくさん書きました。
でまあ、28時過ぎたころに急に冷静になったというか勢いが切れたというか吐き出しつくしたというか反省したというか。関連する発言を全部消して平和になりました。なんか発言を訂正せずに消したら負けという気持ちもありますけれど、別に何と戦っているわけでもないし、残しておいた方が痛手が大きいような内容だったし、そもそも大体負けているのでそこは別に。
全然知らなかったんですけれど、皆さんベッドに入って眠れないとき、どこで人生を間違えたかとか今後の人生どうやって墜落を回避して軟着陸しようかみたいなことは全然考えないらしいですね。そんな世界があったなんてびっくり。目から鱗。というか多くの人は眠いのに眠れなくなったりすることが頻繁にはないらしい。世の中は実に不公平である。
 
今朝目が覚めたとき、無事に眠れたことに気づいてほっとしたというか、安心しました。
とはいえ朝から仕事。これは不思議なわりに結構再現性があることなんですけれど、5〜6時間とかそれこそ8時間くらいちゃんと睡眠をとった時よりちゃんと目覚められたりする現象があり、普段なら2度寝して出勤間際の8時直前に起きたりするんですけれど1回目のアラームの7時に起きて、優雅に朝食を食べて、その食器も洗って出勤という運びになりました。まあ睡眠時間が短いと仮眠して起きたみたいな感覚になって逆に冴えるんでしょうかね。そんなボーナスはいいのでちゃんと睡眠したかったんですけれどね。
あとこの話題もかなり再現性があり複数回書いているような気がします。
 
仕事のほうは第一繁忙期というのもあり、終わったら帰ろうと思って作業していたらいつの間にか23時45分頃になっていました。
ちょうど先週の月曜日も同じようなかんじでしたね。先週は日付を超えたけれど。
これ、ちゃんと申請すれば残業代も就くんですけれども、僕は無能な割にプライドは高いので、時間内に終わらせたことにしたいという思いがあります。まあ普通にお金は欲しいですけれどもね。
僕は仕事が遅いんですけれど、何が遅いかというとまず仕事の取り掛かりが遅く、さらに消化スピードが遅く、どちらも並みの遅い人以上に遅いため本当に業務に支障があります。
でもまあ過集中モードな感じなのと空調がタイマーで切れて環境がいまいちだったのが重なり、睡眠時間のわりに全く眠くならずに作業はできました。その分能率は疑問なところがありますけれど、まあ上述の通り前日の睡眠時間に拠らず疑問な能率なので差し支えありません。
先延ばしと〆切の都合で手持ちの案件が4つ、他所から回ってくる案件が1つの計5つが終わるまで帰れま5という感じでしたけれど、今思い返すと4つしかできていませんね。正確にいうと3.7個くらいです。サバ読みました。てへぺろ
 
どれもこれも頻出の話題で恐縮なのですけれど、毎度夜に眠れなかったりして考える行き止まりというか迷宮というか。ゴールにたどり着けないという意味ではおんなじなんですがね。
自分はまあまあ劣等感が強いほうだと自認しているんですけれども、まずそれが適正な評価なのかというところが1つ。劣等感が強いという点で自分を過小評価しているとも、感じている列島以上に劣っているのではないかというのも、ある程度客観的な指標に基づく自己評価を下しているという自負も、どれもないではないという感じです。劣等感という云わば自信がないものが持つものであろう感覚に対する自信すら持てないというか。まあそんなものは掃いて捨ててしまえばいいような気もしますけれど。
そして劣っていると思い込むことによって努力や向上心を放棄し、低く楽に生きていきたいだけではないかという疑念が2点目。疑念というか、少なからずそういう思いは確実にあり、そこがまた自己嫌悪に陥る1歩であるのが辛いところ。
更に昨日も書いたような、いままで成功してきた人というか自信があるひとというか、とにかく自分の及びもつかないような相手に対する反骨心というか敵愾心というか嫉妬というかが3点目。
最後にそれらをまとめ上げるように、劣等感というか自分が劣っていると分かったつもりになっている自分に酔っている節があるのが4点目。自己嫌悪に対するナルシシズムとでもいうのか、歪んでしまっていて気持ち悪い考え方だと思うけれど、自分がそういう考えではないと断言できないところ、そして断言できないと書いちゃうようなメタ視点と、そのメタ視点すらも包含する無限に続く入れ子構造の嫌悪感と承認欲求の繰り返しみたいなところに陥ると泥沼というか。何をどういう風に考えてもその思考を絡めとりマイナス方向に押し込む力のある無敵の理論だと思う。要するに自意識の塊。
こういうことを考え始めると急速に自己肯定感が無くなっていくのか自己肯定感がないからこういうことを考えるのかよくわかりませんけれども、こういう人間になってはならないという事だけは分かります。でもそれがやめられないという事は即ち心のどこかでそれを欲しているんだろうな、などと。
 
仮に人生にラスボスのようなものがいるなら、それはきっと死らや病気やらケガやら老いやら貧困やらではなく、自己肯定感と自意識と承認欲求なんだと思う。
それらが何とかならない以上は夢と聞き暴徒化目標とかいうキラキラしたものにたどり着けないだろうな。
手っ取り早く他人に肯定してもらいたいという気持ちもないではないですけれど、現実的にそういう相手がいないため無理という話を無視しても、理解されたくないyという思いもあり。非常に不可能です。
本当にどこで人生を間違ってしまったのか。というかどこか今まで正解していたところがあったんだろうかと思う。
そういえば両親からもどこで育て方を間違えたのかなどと悲しい顔で言われたりしましたっけね。
 
明日は今日のお仕事の敗戦処理です。きっとまた怒られ、出来の悪い成果物を提出しあるいは出来の悪い成果物すら提出できず、相手の文句を言い続けるだけのいつもの平日です。それなりの楽しみ。
まあ普通に夜勤です。早く出勤して残務を減らさなければ。
 
 
ちなみに昨日の文字列は4500文字くらいだったみたいです。調べました。2時間。
今日は特に見てないし特に図ってもいないけれど、まあまあな分量なのかな。
まあ意味のない群れだとはいえ、恐らく自分史に残るくらいには出力できたというかしたというか。
比較対象は自分の過去のエントリしかないため相対化できませんけれど、結構書いたほうなのではないかと思う。
中身さえあれば、話題がループしなければ、楽しいことだったら、などと思いはしますけれど。そんなことは無理です。歴史が証明している。
 
 
本当は言語化できないあれこれとかもっといろいろ書きたいことはあるんですけれど、どれもこれもぼんやり漠然とした絶望というか不安というか。なので全然まとまらず、あとさすがにとっても眠いのでこの辺で切り上げます。
書いたところで一線の得にもならないし読んだ人から嫌われるのでしょう。本当に損しかしていない人生だった。