129、円滑な人間関係を送るための模範解答。

やきーん(夜勤したの時の挨拶です)。
まあこれといって何でもない1日でした。2日間ともいえますね。
 
本日のエサです。
最近言われたことがまんま書いてありました。
きっとこう思う人が多数であり、正答なんだと思います。おめでとう!君達は正解だ!
という面白くもない冗談はともかく、原因というか思考かパターン的には、少なくても自分が似たような自虐表現をする場合は自分のことしか考えていないのは事実であり、相手がどう反応するかなんていうのは考えていないというか、逆に考えてなかったらこんなこと言わねーよなと思ったりはします。
僕はとても性格的に終わっているので、きっとこういう感じの人は、人生において数々の成功を収めてきた方なんだろうなと思ってしまいます。道理的には圧倒的に正しいように感じるんですけれども、だからこそ正しさを強要しているように見えるというか。まあ人生どうこうは当てつけというか単なる八つ当たりなんでもっとどうでもいいことなんですけれども。単純に卑下しないというか自信がある人が憎いだけかもしれません。
 
でもまあ、それはそれとして。
なんで相手がそういう返答をしたかというのは、自分がどんな回答を期待してその質問をしたかっていうところにも少なからず関連性があるものだと思います。その回答を導き出した問いかけには一切の瑕疵がなかったのか?というやつです。
エントリ内での文言を引用して返すなら、投げかけた会話に対して"「これを言ったら、相手がこう思うだろうな」「こういうふうに返すだろうな」という想定"が外れて"なぜか相手を責める"のと、やってることは変わらないように思う。相手が自分のが想定していた回答をしなかったから遺憾の意を表明しているだけ。
答えるほうは答えるほうで仮説の通り自分のことしか考えていなかもしれないけれど、それを聞いて"「それで? 私になんて言ってほしいの?」"って思うのは、おんなじくらい相手のことを考えてないことの表れのように思います。考えていないというか、結局想定である以上はどこまでいっても「自分が考える相手」像を考えて押し付けている。
端的にいうとお互いの基準というか価値観が違うだけだと思うんですけれど、相手が自分の基準から外れているのと同じように相手の基準から自分も外れているのに、一方的に相手が配慮に欠けていると断じるのは些か配慮を欠いた記事だと思います。笑えない自虐を笑う配慮がないだけともいえるし、そうまでして付き合う相手でないなら離れればいいだけともちゃんとかいてあるのに。
別に自虐する方が正しいだなんて微塵も思いませんけれども、そもそもどっちが正しいくてどっちが配慮に欠けるとかっていう話ではなのに、一方的に自虐する方に配慮がないかのような書き方をされると、なんだかなーとおもってしまうところはあります。
ついでに、相手に対して「配慮に欠ける」っていうほど傲慢なことってあります?
 
でもまあ上でも述べた通り、恐らくですけれど自虐に対して同じような感想を抱く人が大多数だとは思います。そして、エントリ内にある通りそう思うのは自由です。
そういう意味では絶対的に正ではなくても、相対的に、あるいは社会的に正答となるのは、やっぱり笑えない自虐はしないっていう事にはなるのかなと思います。
とはいえ笑える笑えないの基準なんて受け手次第というところもあるし、多分自虐してる本人は笑えると思ってやってたり、あるいは笑えなくてもそうとしか回答のしようがなかったりするので、結局は自虐をやる人が痛い目を見ながら多数派に馴染んでいくしかないのかななんて思います。
実際のところ、そうやって痛い目を見た人がどんどん自虐的になっていく負のスパイラルというのが目に浮かんでしまうので、何ともいい難いところなんですけれどね・・・・
 
平素、著しく配慮に欠いた記事を書いておいて何を言っているんだって感じがしますね!
さらにいうと、「お互い様」の一言で済む話を回りくどく書いただけともいえる。
 
というわけで、皆さま、僕は随時配慮募集中です!