194、未来南北

これといって大きなミスもなく、車と壁がごっつんこすることもなく、無事に業務が終わりました。
最近後輩から舐められている感じがとてもビシビシ伝わってきますけれど、まあそれはそれで。事実として能力が低い。
 
よくある「自分で考えて」「なんで相談しないの」のダブルバインド小噺、アレの一端を垣間見たような気がします。
結局のところは「うまくやって」という正解があり、うまくやれなかったときにそれっぽい方を言うだけ、という感じ。
世の皆様は「うまくやる」の要求水準が著しく高いときにこういう事に直面するようですけれど、僕は他の人が普通にできるようなことで躓いてこれになっています。
ちゃんとするとかうまくやるとかしっかりやるとか、そういうのは記憶がある限りこっち側では常に苦手です。
 
さいころはよく父親から「シャキっとしろ」って注意されていた記憶がありますけれども、具体的にどうすれば父親のいうシャキっとした状態になるのか、20年くらい経った今でも全く分かりません。冷水にでもさらしておけばいいんでしょうか。サラダ理論。
考えてみればかなり嫌な記憶というか、父親が苦手な理由の中のそこそこ大きい部分を占めているような気がしないでもないですけれど、もっと考えると理由なんて無限に出てくるので別にこれだけではなかったですね。
 
お店でに並んでいる品物には値札が付いていて、所定の額を渡せばその品物が手に入れられるというシステム、単純明快でとっても素敵です。だから買い物が好きというわけでもないんですけれども。
そういう単純明快な数値化した評価が、金銭に限らず世の中全てに適用されればいいのに、と常々思います。
明確な配点があり、明確な採点基準があり、明確な合格点がある。マークシートの試験みたいな世界。
 
周りを見ていると、そういうグレーゾーンな部分をうまく泳いでいるように見えます。だからきっとこういうことは思わないんだと思います。知らんけれど。
僕もうまく泳げるようになってみたいものです。
小学校高学年くらいの頃から「他人のようになりたい」以上に「他人になりたい」と思い続けています。

それが理由で病院に通ったり薬を飲んだりしている部分もないではないですけれど、どんなに困っていても、バカにつける薬はないんですよね。
とはいえ眠気とか集中力不足につける薬があるだけで御の字です。
今日車の耐久性テストをせずに済んだのもそのおかげといっても過言ではない。
 
 
話がまとまらないので無理やり話題を変えて終わりにします。
みかんがめちゃくちゃ美味しかったです。明日の楽しみ。