87、美意識或いは自意識。

時間がなかったり、その時間を作る気持ちがなかったりで飛び飛びです。
一応日記的なことを書くと、一昨日は職場の飲み会。よく「最近の若者は飲み会とか来たがらない」みたな論説もありますけれども、僕はもう若者でもないので普通に楽しみだったりします。
もちろんメンバー的にはもっとマシな集まりもあるし、お酒自体はそんなに好きではないですけれども、それなりに楽しめはします。
 
昨日は起きて無意味に出かけてイカを操作して、29時頃就寝。
今日は7時半起床からのお仕事で、まあ、真っ当な生活を送っておりませんね。
時計が読めないのかな?
 
 
少し前にもおんなじことを書きましたけれど、なんというか最近は精神的に結構低いポジションまで落ちてきました。或いはちょっと高かった反動で低く感じるだけかもしれませんけれども。
体感的には無職だったころに次いで2番目にアレなんですけれども、喉元過ぎればどうのこうのというやつで、たぶんその時々で常に今が2位だと思っているような節もあります。
まあそれでも2番目。修了が決まってから年度が明けて無職になったころは、目に入るもの全てが製品であり何を見ても「就職できなかった=世の中から必要とされていない」と思い3時間くらいベッドの中で泣いてたり、幼稚園に行くより前くらいの頃から持って寝ているぬいぐるみにもし意思があったら嫌われているけれど体が動かないから拒否できないため仕方なく一緒にいると思い込み、泣きながら脳内でぬいぐるみに謝り続けたりしていました。
これはここに書いたり誰かに話したりするつもりはなかったんですけれど、折に触れて思い出してしまうので、ここに書くことでネタに昇華させて、安心して忘れられるといいなというやつです。そもそもぬいぐるみの話とかもごく一部の人にしか話してないし、ここにも書いたことがないし。誰も読んでないからどうにでもなれという気持。HNの由来もそれです。どうでもいいですね。
 
でまあ、2番目。そういう1番目の頃よりはだいぶマシな現在です。
現状なにか生活に不満が、ないではないですけれど概ね順調、仕事のほうも忙しい時期を超えて怒られる機会もだいぶ少なくなって、落ち着いているはずなんですけれども。
また無職の頃のような、漠然とした不安というか焦燥感というかに追われている感じです。
漠然に具体的な例を挙げればキリがなく、例えばこの間の家とか仕事とか結婚とかそういう種の不安はもちろんたくさんあるんですけれど、そういった一つ一つの事象ではなく、それらが合体して一つの大きなおばけになったかのような、輪郭もなくあいまいなあれです。どれだ。
こう、漠然としているがために、言語化しようとすれば必ず違うものに行きついてしまうような、そういう感じです。語彙力は人並み程度持ち合わせている自信はあるんですけれど、自分のなかのイメージはどうにもうまく文字列に変換できなくて困ります。
 
話は逸れますが、この語彙力も本当はあやふやで、なんというか、こう、知ってはいるけれど理解できていないというか、理解はできているけれど実感できないというか。
例えば、自分が感じている「美味しい」という気持ちは、他の人の「美味しい」とおんなじものなのか。味の好みの話というよりは、自分が好きなものを食べたときに感じる美味しさと、他人が好きなものを食べたときの美味しさの感じ方。そういう感覚がどうしても他人と共有、つまるところ共感ができないように感じます。
もちろんこんなことは誰にもできないというのは理解していますが、そういうところに一々躓かずに日々過ごすことができないというか。
「美味しい?」「楽しい?」と聞かれて、自分が抱いている感情がどの語彙に該当するのか、そういうことが実は全く結びついていないため、美味しいと感じている他人の真似をしているただのスワンプマンのような存在なのではないかと常々思っています。
またこれも何度も書いていますけれども、こういう感じで自分の感情の正しさがわからないからこそ、どうしたい・どうなりたいかという夢やら目標が定まらず、それに向かう行動が起こせない=主体性や能動性がない、という構造。
 
話は戻して、特にこれといって具体的かつ致命的な悩みがあるわけではないため、以前受けていたカウンセリングでも何が辛いのかと聞かれてもうまく答えることができませんでした。
さすがそこはカウンセラーで、うまく言語化させ、解消するなり回避するなりの方法を話してくれたりしました。それはとても心地よくて、ともすれば依存してしまいそうな、というか実際はしていたといっても間違いはないんですけれども、あとで話した内容を反芻してみるとやっぱり言語化すると齟齬があったり、あるいは上手くはぐらかされただけだなと思ったり。加えて前にも書いた通り、仕事でやっているという事*1に気づいて、無理になりました。この人はこちらが払うお金に対して話をしていると思いました。そしてそれは間違っていないし、一切悪いことではないんですけれどね。
さらにいうと、こういう感じでなんでも他人事のように考えてしまう、という表現であっているのかわからないけれど、自分の中で整合性の取れないモノの考え方が悪いような気がします。
なので、改めてカウンセリングだったりそこまでいかなくともお悩み相談みたいなやつを受けさせてもらいたい気持ちはありつつも、実際には何も言うことがない、というかもっというと何もかもがありすぎてどこから手を付けていいのかさっぱりわからずに途方に暮れるだけという感じになりそう、というか現実としてそうなってしまい、かといって自分一人で考え抜いて解決できるような能力もやる気もないからこそこうなってしまっているのであり、まさに八方塞がりだなあ、みたいな。たぶんこの閉塞感が前述の焦燥感の影なのかもしれませんね。
  
なんか仕事してるときとかにぼんやり思っていたこと、もっとたくさんあったような気がしますけれども、やっぱり文字列にすると齟齬や乖離があったり、或いは整理されて統合されて純化されて、若しくは単純に忘れたりして、もう最初は何を書こうとしたんだかまったく思い出せません。
でも毎夜毎晩、こういう堂々巡りで答えにたどり着けず、或いはもし辿り着けても意味のない問答が延々と頭の中をリピートします。
そういう意味では仕事で怒られたりゲームで負けたり、まあ普通に仕事が進捗したりゲームで勝ったりしても、そういう間はこういうことを考える余地がないので幾分気が楽ですね。つまり相対的に仕事が好きといえる。
ついでに仕事中に手が空いてるときの雑談とか職場の飲みとかスカイプしながらゲームしてるときなんかも、会話の内容を追えばそういうことは追い出せるので、コミュニケーション能力と社会性が終わっている割には人と会うのは悪くないと思います。苦手だけれど。
簡単にいうとプライドが高くて他人とは合わせられないけれど、ただのかまってもらいたいだけの寂しい人間ですね。鬱陶しいことこの上ないな。
 
あとこういう、寂しい人間だとか鬱陶しいだとかいう自虐みたいなやつも非常にアレで、「本気で自分のことをそう思っている自分」と「自覚していることをアピールしたい脳内の悪魔」と「「自覚していることをアピールする脳内の悪魔」を諫める脳内の天使」が押し問答を繰り広げている感じです。
書いてるときは本当に自虐的な気持ちになっているんですけれども、思い出すだに恥ずかしい思いをしますよね。じゃあ書くなよという話ですけれども、自意識が乱高下して制御が効きません。
 
 
 
唐突に書く気分が無になりました。上の話は全部嘘です。おしまい。
所要時間はちょうど1時間半。

*1:カウンセラーという職業なので当然なんですけれど