日記134、気を使われている感じ。

今日は後輩に呼び出されて大学の研究室に遊びに行きました。教授は出張でいなかったので。
後輩は1ヶ月くらい前にギターを買ったようで、現在練習中とのこと。
それに関連して実験室にギターが置いてあったので、1ヶ月の練習の成果を見せてもらいました。
まあまだまだって感じではあったんですけれども、1ヶ月やればある程度曲っぽいものになるんだなあ、などと思いました。
と思ったので、ついでに1時間近く触らせてもらって、適当に練習してみました。
僕は全くできませんでした。
手の構造の問題なのか何なのかわかりませんけれども、普通は初めて触ったときでも躓かないレベルのところで指が届かないとか、手が曲がらないとか。
まあ努力したわけではないんで挫折とかっていうのではないですけれども、またこうやって劣等感を得る種を増やしてしまったというわけです。
 
 
それはともかく、世間でのトラウマって敷居が低いように思いませんか?
軽々しく「私は○○がトラウマで、××が苦手なんです」とか言われても、そんなに簡単に人に言ったりできるようなことはトラウマとかっていう程度ではないと思うんですよね。心の傷というくらいだし、傷口には軽々に触れられるようじゃまずいんじゃないの?
自分からトラウマだなんて話せる事自体、「嫌なことがあった」程度でしかないように感じます。
私もトラウマとか黒歴史には事欠かない部類の人間ですけれども、未だに触れてほしくないし自分でも目をそらしがちな事なんてたくさんありますよ。それが自分の中で消化できたとき、初めてネタにできるというか他人に話せるようになるんじゃないかと思います。生傷が癒えて傷跡になった感じ。
 
こことかついったー上とかに、嫌だった事とか辛い事とか書く場合もありますけれど、それは嫌でも目を背けたくても、いろいろと考え抜いて、その結果自分の中で何とか割り切ってから書いているつもりです。
だからその事は自分からネタにもできるし、ネタにされてもそんなに嫌な気分にはなりません*1
でもそんなのは氷山の一角というか、今までのトラウマの完治した部分や気にする事でもない程度の事だけ言っていて、本当に触れたくない事は全然書いていません。
 
だから何というか、トラウマがどうこういう話を聞くと、なんだかなーと思ってしまう、というお話でした。

*1:ちょっとはなるけど